はるのくに 1/4

はるのくに

生きていくのに必要な言葉を集めて生きてるの。
感情の無い少女は微笑んで言った。僕はその笑顔に遠い日の不出来な自分を思い出してしまい、嘔吐しそうになった。口を開けて破滅を待っていた子どもは、いつしか周りの全てを壊して生きる大人になっていて。まだ、飲み込めないんだな、孤独に耐え切れず道端で吐き散らしたあの日のこと。皮膚感覚を満たすように生きて失敗を繰り返した時のこと。その記憶のフィルムに写った人たちを黒く塗り潰しながら生きてきた。目の前の少女は、その黒い絵の具を笑いながら剥がそうとする。やめろ、やめろ、やめろ、ヤメロ。気付いたら、僕は彼女の細い首を絞めていた。子どもってどうしてこんなに細いんだろう。あまりに細い首から小さな足を眺めていると、今が非現実的な瞬間に感じられてきた。
夢だ。夢で僕が殺した少女は、今一緒に住んでいる。少女と僕は同じへその緒を裁って生まれてきた訳ではない。一昨日のバイトの帰り道、夜遅くに少女がアパートの近くでうずくまっていたので話を聞いたら、そこから気付いたら何故か僕の部屋に居ついてしまっていたのだ。あまりに自然な流れだったので当の本人にも冗談のようにしか思えないが、端から見れば児童誘拐に見えるに違いない。しかし、わざわざ追い返す気になれず、惰性とさえ呼べないものでこの関係は続いている。そもそも、何故僕の部屋に居ついているのか。少女はこの部屋の中で、楽しそうに笑うことはせず、明かりを点けないで一日中テレビを眺めている。カーテンを閉めきった真っ暗な部屋で、テレビの光がぼんやりと少女の顔を照らしていた。気持ち悪い光景だな、と思った。
僕は色々なものから向き合うことを避けてきた人間だ。またそれは現在進行形で続いている。今も色々な人たちから逃げ続けて、惰性で日々をやり過ごしている。昼は一日バイトに明け暮れて、夜は物書きになりたいと思って色々な文章を書いてみたりするのだが、ピタリと嵌ったことは一度もない。友達もいない。猫も飼っていない。目の前の少女の世話は猫を飼うよりも手間がかからなかったので、生命を世話している感覚は無かった。少女はこの部屋ではあまり話さないが、何を食べたいかは伝えてくる。メロンパン、カップヌードル、やみつきチキン、たらこおにぎり、ミートソース。そのラインナップはアパートの近くの某コンビニに売っている出来合いのものばかりだった。それらを一同に胃に詰める光景を想像したらかなり不健康そうだったので、夕食は僕の分と一緒に何か作って出すことにしてる。今日は焼きうどんを作った。おいしいとは言わなかったが、箸を止めないで食べていたあたり気に入って貰えたようだ。
そのまま一週間も経つと、置き物のようだった少女にも段々と感情というものが戻ってきたみたいだ。遊んで、と言われる度に煩わしさを感じることもあったが、求められるがままに何もかも差し出すとそれを優しさと呼べそうな気がした。未だに帰りたいと言わないのが気になってはいたが、それを今更問い質すことはしようとは思わなかった。それは少女が抱えてる闇と向き合うのが怖かったことと、この関係を気に入り始めていたことがあった。僕は相変わらず部屋とバイト先を行ったり帰ったりする日々だったが、少女はこの一週間一度も外に出ていない。次の休みにどこかに連れ出してみよう。どこへ連れて行ったら喜ぶかな。そんなことをレジを打ちながら考えていると頬が緩んで同僚に気味が悪いと言われた。失礼な。
その休みが来た。平日も休みも関係のない少女だが、歳相応の子どもらしく朝は早い。ごはん、ごはんと起こされてトースターに食パンを突っ込み、フライパンに油を回して卵を落とし、焼けるのを待つ間に聞いてみた。どこ行きたい?少女は何を言われたのか分からないようだったので、僕はフライパンの様子を見ながら可及的速やかに説明すると、少し考えてケセンパサラと答えた。ケセンパサラ?何それ。聞くと隣町の駅近くの喫茶店だと言われた。じゃあ、そこ行こうか。そう答えて、トーストと目玉焼きをよそった。
(続く)