雑記「人間部品化と大量殺戮」

こんにちは。今日の題名はやけに物々しいですね。物騒といえば、最近高齢ドライバーによる事故が多発しているそうです。ある日、歩道を歩いていると後ろを走っている車が車線を乗り越えて突撃してくるかもしれない。僕たちが生きているのは未だに危険社会であり、それを認識せずに生きていられるのはある種の恐怖でもあります。ここ数日の読書の趣向からか、そんなことを考えてしまいました。

今日紹介するのはジョージ・オーエルの「一九八四年」です。ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、どんな内容の話かと言うのを簡単に申しますと、「その思考をしただけで罪になる。一党による独裁成す監視社会の究極形。その中で、主人公のウィンストンがジュリアという歳の離れた恋人を得た事を契機にオセアニア社会の反対勢力と接触しようとする…」といった感じです。この本の前にフランクフルの「夜と霧」を読んでいたので、オセアニア社会をアウシュヴィッツと重ね合わせて読んでしまいました。一九八四年の中にもナチスの名前が出て来るのですが、比べてオーエルの書くオセアニア社会の党は「自分たちの行為に自覚的だ」と主張しています。しかしナチスアウシュヴィッツでユダヤ人に対して行った大量殺戮と強制収容所での人間部品化は、オーエルの書くオセアニア社会の統治と人間性の破壊に繋がる所があるように感じました。一九八四年が出版されたのが1949年みたいなので、オーエルがアウシュヴィッツを意識して書いたのは間違いないかと思いますが、ただ見聞きしたものではなくその本質を飲み込みより深淵まで理解したのではないかと。あと強制収容所を意識したSF(一九八四年をSFと言って良いのかは疑問ですが、僕の中でSFは「ある一つの虚構がその社会全体に作用し、その社会の人々の暮らしや思想にどのように変化したのか」を描写したものではないかと、科学はあくまでその虚構の中の一つではないかとさえ思っています)でオススメしたいが、フィリップ・K・ディックの「人間未前」です。「人間以前」は「一二歳未満の子どもたちは人間として見なされず、親の通報によってトラックに運ばれ工場に運ばれて処分される…」と言った話ですが、トラックが街中を走り回るのを子どもたちが恐れ、またある種の神隠しのように噂している描写が「夜と霧」に書かれたナチスの時代に通ずる所があります。「一九八四年」「夜と霧」「人間以前」、こよ三冊是非比べて読んでみてください。

あと余談ですが、この記事を書いた時にAKBの衣装がナチスの軍服に似ている事で秋元氏が謝罪されたニュースを思い出しました。このニュースを観たのも、何かの偶然か縁か「夜と霧」を読み終えた直後で、未だナチスは思想や文化のレベルで排除されるべきものであると考える人たちがいて、それも強制収容所の中で行われた事を踏まえると当然なのかなと思いました。以上です。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録